こんにちは、
琉美不動産の水野です。
最近自分の体重がバグっている事に危機感ありつつも、動かざること山の如し。
若い頃はフットワークも今よりはもう少し良かったなぁ…
中学高校時代なんかは仲間集めて市の体育館借りてバスケなんかしたりして
沖縄県と言えばバスケットボールのプロリーグで盛り上がりを見せていますね。
私は今、浦添市に住んでいるのですが、市は2004年1月に「ハンドボール王国都市宣言」を行い、市内の全公立小中学校にハンドボール部があるなど、日本でも有数のハンドボールの盛んな土地なんだそうです。
へぇ
まだまだ住んでいるだけで知らない事が多いなぁ…
という事で、本日は【浦添市】を調べてみようと思います。
歴史から見てみると…
12世紀から14世紀の約220年間、当時の浦添城を中心に琉球王国の首都として栄える。
その時の王「英祖王」の父が太陽であったという伝説があり、それに因んで沖縄の方言で太陽を意味する「てぃだ」と、その太陽の子供を意味する「こ」を合わせ「てだこ」と呼ばれるとか。
「てだこの街」と呼ばれる事もあり、行事などにもその名称をつけることが多いようです。
確かにポストに入っていた市の広報誌に
2022年10月29日~30日「復活3年ぶり てだこまつり」ってありました。
(新型コロナのせいで2年連続で中止となっていたようで…ちなみに30日には「かりゆし58」も来るそうですよ♪)
歴史に戻りますが、14世紀末に尚巴志王によって滅ぼされるまでは中山王国の首都だったそうです。
太平洋戦争中の1944年に日本陸軍沖縄南飛行場が建設されるが、米軍の攻撃と上陸に合い飛行機が一機も飛び立つ事も無く放置されて沖縄戦を終了。 その後、米軍がその飛行場を占拠し、牧港補給基地(通称、キャンプキンザー)を建設して今に至る感じです。
最近キャンプキンザー辺りの一部返還などで国道58号線の車線が広がりましたね。
戦後、那覇市のベッドタウンとなり人口が急激に増加。
1970年に浦添村から町を経ずに浦添市となり、1998年1月に人口10万人を超えたそうです。
(令和4年8月末現在115,658人)
…とまぁとてもざっくりした歴史ですが、前回のコラムで話した「宜野湾市」と同様に米軍基地のある町の一つですね。
ただ、宜野湾市との違いとしては飛行機や戦闘機の発着などに利用されている訳ではないので騒音問題などで困っているという話は聞かないですね
近年は特にモノレールの線路延長で那覇市内だけで止まっていたモノレール駅が浦添市に繋がったり、海沿いのバイパスが那覇空港から宜野湾マリーナ方面へ抜ける景色の良い道路がつながったり、前述した58号線の道路拡張と長年悩まされていた浦添市内の渋滞問題がかなり良くなったと感じます。
また、バイパス沿いにPARCOが誘致されたり沖縄本島では名実ともに那覇市に次ぐ都市となってます。
そんな浦添市で育った弊社のエース「島袋健太」が沖縄県内での生活をご提案します。
浦添での生活にご興味がある方、土地や住宅の販売・買取は宜野湾市字宇地泊(ぎのわんしあざうちどまり)にある【琉美不動産】へ是非ご相談ください!
弊社のエース「島袋健太」が先日出演した番組がこちら
グーな家探し2022年9月18日放送
グーな家探し2022年9月25日放送